そもそも稲作が始まったのは中国の長江流域と言われます。日本には縄文時代後期頃に伝わったと考えられていますが、ここで少しマメ知識。この稲作が始まった時期を特定するの手法の一つにプラント・オパール分析というものがあります。プラント・オパール(植物珪酸体)とはイネ科の植物などに多く含まれているガラス成分で、植物が枯死し腐食した後も長い間地中に残り続けます。またこの物質は植物ごとに異なる形を持つ特徴があるため、これを調べる事で過去のどの時代にどんなイネが生息していたかを知ることができます。田んぼで稲刈りの手伝いをしている時に腕や手の皮膚をスパッと切ってしまった経験がある方ならもうピンとくると思いますが、その原因もこのガラス成分です。(なお農林水産省のHPでは稲作が中国南部の雲南のあたりから広まったと記載されていますが最近の研究では中国長江流域というのが通説です。)
日本にイネが入ってきた当時は、水田は整備されておらず陸稲から始まったと考えられています。また比較的小さな規模で他の穀物などと一緒に育てられていたようです。鉄製農具もまだ発明されておらず、大規模な生産はできませんでした。弥生時代に入ると水田も整備され始め、土器や農具、倉庫の技術も発展し、大量に貯蔵が可能になったため、より大規模に稲作が行われるようになりました。その結果、集落が形成され初期の国家が誕生し、より稲作に適した土地を巡って集落間の戦争も起こり始めます。当然稲作の技術を持ったものは重用されたでしょうし、生産や貯蔵を管理するために支配者が登場し、階級も明確になっていく事になります。もしかすると、お米と日本人の歴史は戦争と格差の歴史の始まりとも言えるかもしれません。
こうしてお米は日本人の主食として定着し始め、少しずつ栽培される地域も増えてきました。寒さに弱いイネですが長い年月をかけて北陸や東北にも広がり、明治時代には北海道でも稲作が始まります。今日では米の一大産地と言われる地域の多くが日本の北の方に集中しています(下表参照)。
平成29年度版食糧統計年報より筆者作成
このような歴史の中で、いつしか米は天照大御神からの授かりものと言われるようになり、豊穣を祈る祭りや収穫を祝う祭りが行われるようになりました。お米は神様への献上品としても重宝されるようになり、田楽などの伝統芸能も育みます。「お米一粒の中には7人の神様が宿っている」という言い伝えの中からも、いかにお米が大切にされてきたかがうかがえますね。僕も子供の頃、祖母に「お米を無駄にしたら目ん玉潰れるよ」と言われた事を思い出します。祭りや言い伝えとして、日本人の伝統文化を育むのに、お米は一役も二役もかっているのです。身近になりすぎて、ともすれば見過ごしてしまいそうなお米の役割の一つです。
お米を育む水田にも様々な役割・機能があります。まず一番わかりやすいのは生物多様性の維持です。水田にはカエルや鳥をはじめ、水生生物から陸上生物まで、昆虫から哺乳類と、種を問わずありとあらゆる生き物が暮らしています。農薬の普及などで一時はその機能が失われてしまう危機にも陥りましたが、最近は有機農業や低農薬栽培の考え方も広まり、豊かな生物資源を有した水田が取り戻されつつあります。もう一つ、水田の果たす大きな役割として治水があります。水田には保水性があり、洪水の被害を防止する小規模な治水ダムとしての役割を持っていると言われます。その機能は時に数億円規模ともいわれる程です。
そして最後に、お米の果たしてきた経済的機能について。皆さんもご存知の通り、江戸時代お米は年貢として、税金の代わりのような役割を果たしてきました。それだけでなく、この米を取引する際に「米切手」なるものが発行され、お米の代わりに売り買いされるようになります。つまりこの米切手は一種の証券であり、当時はこれを担保に今でいう銀行からの融資を取り付けたり、財政難になった藩が次年度分の米切手を先に発行し、赤字を補おうとするような動きもあったとか。そのため米切手が不渡りを起こすような事態が生じ、幕府が対策に乗り出すなど政治や経済が大きく動きました。
いかがでしょうか。僕自身、大学でお米に関するレポートを書きながら、お米という食糧資源が日本人に様々な影響を与え、また様々な機能を発揮し日本の文化や経済の発展に関わってきたことを知り、驚きを隠せませんでした。また、このような食料資源と人々の関りを見ていく事で、地域の発展や文化の成り立ちを紐解くことができる可能性も知りました。今回僕が調べた文献はほんのわずかなものにすぎません。お米が本当にこのような機能や役割を持っているのかについては、もっとしっかりと研究する必要があるでしょう。ですが、こうして一つの食材に焦点を当てる事で、地域の様々な一面が見えてくることも確かです。それに、これ一つで大学の卒論だって書けそうですしね。
それでは、最後に有名な諺を紹介して終わりにしましょう。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
稲が実を熟すほど穂が垂れ下がるように、人も知識や経験を得るだけ、謙虚に生きなければならない。そんな意味が込められています。お米から人生訓まで学べるなんて、面白い限りです!(^^)!。
参考文献
・「雑草からみた縄文時代晩期から 弥生時代移行期における イネと雑穀の栽培形態 」那須浩郎
国立歴史民俗博物館研究報告 第187集 (2014) p.95-110
・「米切手再考 : 宝暦十一年空米切手停止令の意義」史学雑誌 118 巻 (2009) 6 号 p. 1181-1196
・http://www.maff.go.jp/j/agri_school/a_tanken/ine/01.html 農林水産省HP
・その他大学での講義や講義資料を参考にした
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