地域創造の先にあるもの

 高校の頃、学校のカリキュラムや先生に恵まれた僕は自分の住んでいる地域や地方創生について深く考えることができました。その中で、いつの頃からか「地方創生後の世の中がどうなっているのだろうか」と思いを馳せるようになり、同時に地方創生後のビジョンについて考え始めました。単に一つの地域の活性化を目指すのではなくもっと広い視野で、日本中あるいは世界中の地方創生が成功した後世界はどうなるのか、どうなるべきなのか気になったのです。さすがに受験期になると考える余裕はなくなりましたが、それでもいつも心のどこかに引っかかっていました。「地方創生した後の事って案外語られることが少ないんじゃないかなぁ」と。

 少し話はそれますが、大学に入ってから僕は「地方創生」という言葉をほとんど聞かなくなりました。大学でよく耳にするのは「地域創造」や「地域づくり」といった単語です。どうも「地方」という言葉が与える「地方対中央」と言う好ましくないイメージを避けるためという理由や、そもそも学部の名前が「地域創造」で「地域」を特に限定しないというので、意識して使われているようです(もちろん他にも理由はありますがそれはまた別の機会に)。僕自身も「地方」という言葉より「地域」と言った方がしっくりくるのでこのホームページでは「地方創生」という単語は今日以降、あまり出しません。「地方創生」≒「地域創造」と思っていただければよいと思います。

 さて、話を戻しましょう。高校の頃、地方創生≒地域創造の先にある世界について考え始めた僕は大学に入って少しした頃、一つの答えのようなものにたどり着きました。それは「世界の安定」あるいは「持続可能な繁栄」です。

 そもそも地域創造とはその名の通り、地域の新しい魅力を創造する取り組みです。その過程で、地域経済を活性化し、様々な地域文化を守る事を主な活動内容としています。僕はこの地域文化の事を生物でいう遺伝子のようなものだと思っています。生物は遺伝的多様性が失われると万が一、凶悪な病原菌に侵された場合絶滅の危機に瀕します。同じように世界中にある地域文化が消滅すれば、私たち人類は多様性を失い、将来起こるであろう天災や紛争などの課題に立ち向かう力を失ってしまうのではないでしょうか。

 例えば、私たちは国の豊かさを計算する際にGDPなどの経済力を指標にします。しかし、ご存知のように最近は経済的な豊かさのみならず、人間関係の豊かさや精神的な満足度など、金銭的なものだけではない豊かさを大切にしようという動きが強まっています。この考えはブータン王国の国民総幸福量(GNH)がもとになっています。様々な国が世界にある中で、経済のみを国の成長の基準とするのではなく、ブータンのような国が国家の豊かさを示す新しい指標を提示したため世界の流れが変わったのです。そうした中で日本でも都会に出てお金儲けをし物質的な豊かさを求めるだけではなく、多少稼ぎは減ろうと田舎で精神的な豊かさを求めようという流れができました。これも都会と田舎という、価値観の違う二つの文化があったからこそ選択の余地がありそれまでとは違う生き方を選ぶことができたと言えるでしょう。文化の多様性は人の生き方の多様性を意味します。人類は文化によって、様々な生活スタイルや知恵、社会システムを持っているのです。一つの課題に対しより多くのアプローチで解決していくためには、こうした様々な文化の多様性を守り、危機に対する選択肢をより多く維持する必要があるのではないでしょうか。選択肢が多ければ多いほど世界は安定へと向かい、持続可能な発展を続けることができるのではないでしょうか。

 こういった事を大学一年の時に思い付きました。まだ発展途上で上手く説明できていませんし、これを裏付ける論文やデータはまだ調べ切れていません。しかし、それぞれの地域がバラバラに地域おこしをすると、自然と「地域創造」に成功した地域と失敗した地域が出てきてしまう事は誰しもが容易に想像できることです。そうなれば格差は広がり、消滅する集落が増え、多様性は失われてしまいます。これを本当の地域創造と言えるのか、疑問が残るところでしょう。そんな今だからこそ、たとえ絵空事であっても僕たちは大きなビジョンを思い描く必要があるような気がします。地域を創造した先にあるもの、「地方創生」が終わった後に思い描かれる未来はどのようなものなのか、広い視野を持って考えねばならないと思うのです。

写真提供:楓雪

[R]

地域学・どっと・こむ

金沢大学地域創造学類にて地域づくりについて本気で学ぶ現役大学生です。発展途上のサイトでまだまだ試行錯誤しながらですが、月に数本のコラムを投稿し、地域について考えるきっかけやアイディアが生まれるきっかけを創っています!

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